きもの 大長は出羽の里「山形県」、寒河江市の旧国道112号線に面したお店です。

築120年の蔵を改築した紬専門のお店です。
気負わない普段の紬から丁寧に一糸一糸織られた価値ある工藝紬。
しっとり〜ザックリした趣味性のある帯。店主自ら染め上げた帯も是非ごらんください。
着物の良さをアピールしつつ、日ごろより感性を磨きつつ、皆さまへ染織品を
ご紹介いたしております。


店主登場の動画、コンセプトを語っております

              
        
        JAZZが静かに流れる店内
                





   



   


                 店主創作の「和・モダン」な小物、民芸テイストのアンティーク雑貨も沢山。





洗い張りされた反物たち




現在の販売形態までの経緯


私は京都の「一紘」という「銀座きしや」などにも製造卸をしていた
染めのメーカー問屋(現在廃業)に6年間勤務しておりました。
私が、「一紘」での修行を終えて「きもの大長」に戻った頃は、
先代(両親)は主に染織工芸品を取り扱って商売をしていました。
昭和50年頃より県内では、あまり馴染みのなかった京都の
一流と言われるメーカーと取引しており、紬は「室町の加納」、
染めは「一ノ橋」はじめ「吉全」「木崎」、帯は「岩田」などなど、
今思えば錚々たるメーカーです。

日頃より、最高の染織品に触れて、自らもデザインや誂えも行い、
取り扱いをしている日々を過ごしておりました。
良い染織品は手間と時間を存分に掛けて作られるため、
値段もそれなりに高いです。
時代もあり、高額品が売れにくくもなっていました。
当時は、時代の流れと共に、染織の質の低下が目立ち始め、
染めはインスタントなデジタルなプリントが横行し、
紬や帯などの織り物も雑多な物が増え、見るにつれ
辟易しておりました。

ある時、業界の先輩より、宮古上布のリユース品(古着)を
見せられ、購入する機会がありましたが、
その時の衝撃はいまだに忘れられません。
もちろん仕立てあがっていますので固い糊も落ち、風合いは滑らか、
透き通る藍色の生地、独特の光沢、当時宮古上布は
小売価格が安くても150万円はしていました。
私自身も触れたことはあっても、販売したことはありませんでした。

それが、10数万円仕立て代込みで販売できる値段だったのです。
早速丁寧に解いて、洗い張りをし、お客様にお見せしたところ、
すぐ売れてしまいました。

それから、精力的に工芸染織品の蒐集が始まりました。
幸い、染織工芸品は常に触ってましたので、目利きには自信があります。

リユース品を取り扱うに当たっては、厳しい目で
「ハンドメイドであること」「本物であること」を
意識して蒐集しました。
本場結城紬、郡上紬、丹波布、越後上布、国画会作家品、
真糊友禅などなど、触れていていつも幸せな気持ちになります。
また、こういった染織工芸品をリーズナブルな価格で
提供できる事にも大変な喜びを感じております。

現在はこういった染織工芸品はじめ、小紋や付下げなども
解き洗いをして販売するようになりました。
呉服への想いは強く、また40年近く様々取り扱ってきましたので、
なんでもご相談くださいませ、真摯に対応させていただいております。



                       


     

    
            
歴史と自己紹介

店主:大沼友伸

            

昭和40年生まれ

東京 目黒の「染色学院」中退後、21歳で京都のメーカー問屋
「一紘株式会社」へ入社。

 27歳で退社。山形に帰郷、以降当「きもの大長」へ勤務。

平成18年に社長就任。

釣りが趣味で毎週庄内へ出かけております。他には陶芸・骨董収集が趣味。

店主が綴っているブログです
家庭の出来事や仕事をおもしろおかしく綴ってまーす(創作ブログ)

私が染めている動画です  1
私が染めている動画です  2
私が出ている動画です(門前カフェ)
地鎮祭から完成引き渡しまでの経過
当店を設計いただいた「横山建築設計事務所+光象研究所」のブログより




歴史

寛文10年11月(1670年)に当大沼家初代より私の父「大沼清哉」で15代目となり

昭和48年に「有限会社きもの大長」を設立

私「大沼友伸」で16代目で現在に至っております。

小売としては15代目の「大沼清哉」よりで、それ以前は、染物・織物の工場を構えておったようです。

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